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2006年度グッドデザイン賞審査総評


2006年度グッドデザイン賞審査総評

 
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    B. 建築・環境デザイン部門

    B01:建築デザイン
     
    審査ユニット長  隈 研吾

    建築家

     

建築を設計する主体は,2つに大別できる。

いわゆるアトリエ派といわれる小さな組織と,ゼネコンの設計部や大手設計事務所などの大きな組織である。思い切って簡略化してしまえば,小回りのきく小組織がまず世の中の変化をつかまえて発見し,それをデザインという言語に翻訳し,少し時間がたった後に大組織が,より大きなプロジェクトの中にリアライズする。毎年行われるグッドデザイン賞の審査では,その年々で「発見」サイドが颯爽とかっこよくみえる年と,「リアライズ」サイドが大人びたかっこよさをみせてくる年があって,今年はどうやら「リアライズ」サイドがかっこよくみえた年だというのが審査委員達の共通の感想であった。

またまた簡略化をした言い方をすると,1970年代というのが世の中の新しい波のひとつの出発点であった。工業化社会から情報化社会,ネーションステートからグローバリズム……そんな図式で語れる新しい波であり,それをいち早くデザイン化したのはいわゆる小住宅の作家達であった。工業化社会では,建築は経済を牽引する「時代の花形」であり,それにふさわしい「えばった建築」「勝つ建築」が求められた訳だが,打って変わって情報化社会の中ではシンプルでつつましい「ミニマルな建築」「負ける建築」が要望されはじめたのである。70年代この世の中の転換を,小さなコンクリート住宅やガラス住宅というスタイルに翻訳した建築家達が,時代とともに大きくなっていまや巨匠として君臨するという今,われわれは生きている。この30年は,70年代に芽生えた「あの美学」を大資本や大組織がのっそりのっそりとフォローアップした30年間であったと括ることもできる。

そのプロセスの中では,いろいろな役者が登場する。小と大の中間の組織規模の主体が「あの美学」を集合住宅に持ち込んだ時代には「デザイナーズマンションブーム」が起こるといった具合である。

では今年はどんな年だったか。今年の「大」への注目は,リアライズの能力への評価というのとは少し違うように感じられた。これまでの僕らの考えでは「あの美学」は,せいぜいデザイナーズマンションのスケールまでで,それ以上のスケールのものにまではとどきそうもないという落胆,あきらめが支配的であった。しかし今年,むしろそんなリアライズの側面とは別のところで「大」もおもしろいじゃないかという空気が生まれたのである。

今年の「大」の応募作の多くに,「大」の中にも,「あの美学」のさらにその先の何かの動きに敏感に反応できるような,小さな「サブグループ」のようなものが,生まれつつあるのではないかという気配が感じられたのである。いまだに「70年代小住宅」レベルのものを再生産しているアトリエの低調,デザイナーズマンションのデザイナーに安住して「その先」にいこうとしない建築家の堕落,「あの美学」をただスケールだけ拡大している巨匠の怠慢……それらと比較した時に「大」の新しい底力,「大」って「小」の集合体に変わりつつあるのかも……という気配が広まったのである。

しかし「小」の中にも新しい動きはある。たとえば金賞を受賞した「東京ハウス」のように,社会の「枠組」を変えようとする動きである。「70年代小住宅」は所詮,枠組の中でのアヴァンギャルドであった。その枠をこわす試みも様々な場所ではじまっている。それは「大」と「小」という区別自体も無効になってしまうようなありようにも感じられる。(審査ユニット長 隈研吾)

 
 

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