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2006年度グッドデザイン賞審査総評


2006年度グッドデザイン賞審査総評

 
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    グッドデザイン賞審査副委員長

     
    奥山 清行

    インダストリアルデザイナー

     

50年目のグッドデザイン賞応募を見て,あることに気づいた。
全体に「もの」が本来持つ息吹が感じられないのだ。ある種のこだわりを持って作られた商品に必ず感じられるあの息吹だ。
私が思ったのは,日本のものづくりがおざなりにしてきた,自らのアイデンティティーの壁に直面しているのでは,ということだ。今まで,それぞれの企業文化に頼り切って,それこそが日本だと思ってきた「付け」だ。
韓国勢や台湾勢を見るがよい。生き生きとした商品開発をしていて,かつての日本の製品に見られた技術力をバックにした先進性や力強さがあるではないか。バブル経済と絡めて語られる,軽薄短小は本当に悪いことだったのか?
ディテールの造り込みや,細やかな心遣いだけが日本の得意な点だと思い込んでいないだろうか。小手先に捕らわれるあまり,時間とコストのかかる基礎研究を怠っていなかっただろうか。表面処理のみの日常のデザイン作業の中,面倒な根本的問題を避けていないか。それら厄介な作業を真面目にこなしてきたのが,本来の日本のアイデンティティーではなかったのか。
商品開発のスピードがこれほど速くなると,技術開発の速さを追い越してしまう。それまでの企画作業は,地道に研究してきた技術畑に行って,あぁこの技術を使えばこういった機能性が出せるな,と形にすれば良かった。野に行って花を摘んでくれば良かった。
しかしながら,あまりに速いスピードで商品群が造られ,そして消費されていく現代では,その野原の花は皆摘み取られて,跡形もないのだ。次の花が生えてくる時間もない。コストカットという形で開発の畑を小さくする愚か者もいる。
企業の中にいなくては出来ないこと,外に居る人でないと出来ないことの境界線もいい加減だ。全てを企業の中でこなそうとするあまり,中でしか出来ないこともしていない。
今,本当に良いものを造ろうとすれば,技術の荒野に畑を耕して種を植え,花が育ってくるのを待たなくてはならない。欲しい機能を考えだして,それにあわせた技術を開発しなくてはならない。どんな機能が欲しいかは,もの疲れしてしまった顧客に聞いても有効な答えは返ってこない。ましてや未来のことなど,本当は誰にも分からないのだ。
僕らプロは,ありったけのデータを基に,一生懸命想像力を働かせ,未来の「もの」を造るのが仕事だ。畑を耕そう。種を蒔こう。でも,誰がどの種を蒔くべきか。今の日本には,まだ見えていない。

 

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