審査の基準は4つ
業務使用のコンピュータとその関連製品を対象とするユニット2は、応募点数124点に対して1次審査通過が104点、2次審査通過が61点だった。IT業界の冷え込みを反映して応募点数は漸減しており、新世紀最初のGマークにも関わらず、潮流を予感させるコンセプトなりデザインワークはほとんどなく、地道なバージョンアップ製品が大半を占めた。
バージョンアップ自体は大切な企業努力として奨励されるべきことだ。しかし、何を改善したのか、何を新しく付与したのか、何を逆に削除したのか――という各ポイントにおいて明確なベクトルが見出しにくくなっていることも事実である。
審査では、上記のポイントを軸に、コンセプト、製造手法、使用感を含めてデザインが及ぼす多岐にわたる項目を一つ一つチェックした。多岐にわたるとは言えチェックすべき項目を簡単に表現すると、次の4点に集約される。「機能も含めてカッコよいか」「使いやすいか」「資源の再利用に注力しているか」、そして最後に「まったく新しいモノなのか」。
例えば、複写機はユニット2の代表的な審査製品群であるが、どのチェック項目においても抜きん出た製品が見当たらなかったのは、複写機そのものの問題もあるが、複写機を取り巻く就労環境に大きな変化が起きていないという背景もある。新しいビルがいまだに床配線のネットワーク環境を前提にしているような20世紀型のオフィス提案に終わっているせいで、設置機器の発展が阻害されている側面も無視できない。審査では、そうした背景も十分に考慮した。

金賞製品について
審査委員全員が一致して推した松下電器産業のPanasonic CF-28は、精密機器の代表であるパソコンを過酷な環境下で使用することを想定している。対衝撃性と対振動性は米国国防総省の軍事品採用基準であるMIL規格をクリアしており、防塵性、防滴性においてもJIS規格をクリアしているのは当然としても、3世代目にあたる本製品には、機器デザイン全般にわたってユーザーを正確にイメージしようとする意思の存在が感じ取れる。液晶部材の塗装ひとつ取っても、炎天下での使用を想定した素材開発にデザイナーが参画するところからスタートしているのは、モノづくりにおけるデザインワークの原点といえる。
これまでのパソコンにはなかった情報機密性への物理的な配慮や、それを合理的な形態へと昇華するアセンブリ技術は、デザインと商品企画の両面ですべてのメーカーが目標とすべきイメージ力の結晶である。

デザインを取り巻く危機的な状況
デザイナーの問題なのか構造設計者の問題なのか(多分、両者に問題があるとにらんではいるが)、今年の審査製品には細部の作りの甘さが目立った。それは一口に言えば、デリカシーの欠如である。ユーザーをマーケティングの数字として突き放してしまい、自分もその数字の一人なのだという当たり前の想像力が働いていないという印象さえ受けた。
早すぎる警鐘は陳腐化し、黙殺されがちだが、デザイナーにしろ構造設計者にしろ、理論と実践のバランスが求められる職能は、今、とてつもない危機に瀕していると言わざるを得ない。社会状況を反映して、経験を積んだ社内デザイナーや構造設計者がどんどん数を減らし、明文化できない技能の継承がブツリと切れているような気さえする。
モノづくり大国である日本から技能が消滅しつつある、と言ったらオーバーに聞こえるかもしれないが、それくらいの危機意識を共有していなければ、気付いた時には手遅れになっている。今なすべきことは、モノづくりの技能を継承するという地道な努力しかない。企業経営者は、この時期だからこそマニュファクチャリングの根本理念を思い返すべきで、モノをつくるという源流にしか会社を蘇らせる解答はないのだと肝に銘じてもらいたい。IT革命は確実に来ているし、サービスというビジネスモデルに着手しない企業は存亡の危機に直面すると恐喝するコンサルタントが跳梁跋扈しているのは周知の事実だが、彼らが責任を取るのは報酬金額の範囲内である。
魂は細部にこそ宿るのであって、経費を切り詰めすぎて粗雑なモノしかつくれなくなったメーカーは早晩、退出を宣告されるだろう。細部に魂を宿らせるには、経験の継承と理念のバックアップしかないと腹をくくるべきである。経営者の度胸が据わっていないから、モノがブレている。デザイナーや構造設計者の問題というよりもむしろ経営者の問題なのだ。それでもあえて言えば、目の前の危機を直視しているデザイナーこそが、もっと声高に語らないと自分で自分の首を絞める結果になる。危機はそこまで来ている。