ユーザーはきちんと選んでいるか──ユーザーの目
ファミリーユース・ユニット1は、大型家電製品(洗濯機・冷蔵庫・空調機など)を除く、いわゆる生活雑貨・生活用品と言われる商品ジャンルである。ペット用のケージから道具箱、工具、物干しポール、食器、空気清浄機、そして仏壇など、家の内と外のこまごました、必要ではあるけれど、さりとて主役にはなり得ない、いわば実用の用の美が追求されるジャンルと言えよう。
ユーザー(使い手や買い手)にとって、家具やインテリア用品はもちろんのこと、大型の家電製品などを選ぶときも、家の空間の中で「主役を選ぶ」あるいは「大事なモノを選ぶ」といった意識があり、自分の個性や良識や美的感性を動員して「意識的」に選び取っている。それは、これらのモノによって空間の質が決まる、あるいは空間の質が大きく左右されることを知っているからである。
しかし、このユニットの商品ジャンルはどうであろうか。(もちろん、食器など一部の例外はあるが)家具や大型家電製品ほどの思い入れで選ばれているのだろうか。必要だから、実用品だから、値段も適当だし、まぁ、こんなところでいいかな……で、ふと気づいてみると、モノの数は豊富にあるけれど、ただただ雑然とするばかりで、ちっとも空間の質を上げていない。いや、むしろ気合いを入れて選んだはずの主役も埋没してしまっている……このような状況を引き起こす。
これがこの商品ジャンルの特性であり、課題なのである。
昨今、ユーザーもモノに成熟したと言われる。確かに成熟していると思われるジャンルも多くなった。だが一方で、空間の、あるいは生活の「脇役」といわれるジャンルでは、まだまだしっかりとした視点、モノを選ぶ目が充分とは言えないのではないか。
良いモノがないから…なのではなく、良いモノを選ぶ目利(ユーザー)が良いモノを生む(デザイナー)という相互の関係が、このジャンルを審査していてつくづく必要なのだと改めて感じた。

デザイナーは近視眼的ではいけない──デザイナーの目
200点を超える応募商品の一つ一つをじっくりと見てみると、機能といい形といい完成度といい「これは水準以下だ」というものは少ない。それだけ相対的にモノの質は上がっているとは言える。
しかし、ダメなモノもないかわりに「これは凄い!」と思うモノもないのである。何を凄いと思うかは審査委員5人それぞれ違いはあるとしても、何か一点ぐらい、誰か一人ぐらい「これは凄いですよ」と言うモノがあっても良いはずの審査対象があるというのに。このことは、生活用品それぞれのジャンルごとに平均化あるいは均質化が一段と進んでしまったことを意味している。
中でも気になったのは空気清浄機などの小型家電製品群である。メーカー同士言い合わせでもしたのかと思われる位、ピンク・オレンジ系、ブルー・グリーン系、パープル系の色使いであり、単体ではまとまりのあるデザインと言えても、室内に設置された状況を想像してみると、これが果たして空間の質を上げることになるのだろうかと疑問を呈したくなる商品が多い。そのモノが使用される状況や空間をより考慮したデザインが必要なのではないだろうか。(iMac以来、家電製品のみならず様々な生活用品にこうした色が安易に使われ一種の流行りになっている。どうせならiMacの戦略を活用してほしいものだ。)
むろんこうしたことは、デザインする側だけの問題ではない。営業や販売する側が、売りやすさから類似の機能なら色で差別化を図るよう指示する傾向も大いにあるだろう。だからこそ、デザイナーが確たる信念で一つの見識を示していただきたいのである。

関係のデザイン──社会への目
モノそのものを審査対象とするものが多いこのユニットの中でも、そのモノが生まれるに至ったプロセス(経過、関係・環境)が評価されたモノも増えてきた。ユニバーサルデザイン賞を受賞した小型牛乳びん「50%軽量Z200」、エコロジーデザイン賞を受賞した「Re-食器」などである。
小型牛乳びんは、業界初の50%軽量化を実現し、牛乳を飲む人だけでなく、流通に携わるすべての人の負担と輸送に関わるエネルギーの軽減を果たしている。また「Re-食器」は、地域の一大産業である陶磁器の循環・再生をテーマに、産地企業を始めとし、流通・試験研究機関・ユーザーの連携により再生食器(Re-食器)という新しい市場の創出を実現させている。
このように、そのモノを取り巻く社会的環境や産業環境が持つ様々な課題を解決する手段として、デザインがある。ということを以上の2点は示している。
デザインはもはやモノの「形」を超えた、と言われる。人と人、人とモノ、人と自然、人と環境、モノとモノなど、様々な関係を、いかによりよい方向に創り出す・創り変えていくのかがデザインの「大きな力」と言えるだろう。そして、もう一つの力は、それが「魅力的」であるかどうかなのではないだろうか。魅力ある美しいもの(システム・技術・カタチなど)を望んでやまない。