Good Design Award Good Design Award
Good Design Award 2004
Menu page
2004 Outline
Award
Etc.
Outline
審査委員/審査講評

建築・環境デザイン部門
B01ユニット:建築デザイン

審査ユニット長 隈研吾

略歴を見る

いま建築をめぐる状況は大きく変わりつつある。一言で乱暴に要約すれば「公の建築」から「私の建築」へという転換が進行しつつあるのである。もちろん今年のグッドデザイン賞にもこの転換は影を落とさずにはいない。
「公の建築」の中心は、いわゆる公共建築である。数年前まではグッドデザイン賞にも公共建築の意欲作の応募があり、議論の中心となった。しかし、公共建築のプロジェクトの数自体が減少しているだけではなく、ひとつひとつのプロジェクトにかける予算も削られている状況を反映し、公共事業に関連する建築の応募は低調であった。予算の少なさを逆手に取るような、意欲的プロジェクトも見当たらず、保守的で「事なかれ」的な公共事業ばかりが目につくような状況は、公的主体が守りに入っている国の状況の投影と言ってしまえば身も蓋もないが、この国にとって、そして市民にとって、極めて残念な状況と言わねばならないであろう。来年には新しい公共建築のウェーブを期待したい。
昨年は目をひくものがいくつか応募された都市型の巨大再開発も、現代の「公的」建築の代表であるが、この領域も今年は低調であった。計画進行中のプロジェクトはいくつかあるわけだから、この種のプロジェクトが終焉を迎えたわけではない。しかし、肥大化する都心部の買収コストに見合うためには、相も変わらず陳腐なアメリカ流超高層を建てざるを得ない状況が続くとすれば、この種の「公」的建築物の未来も決して明るいとは言えないであろう。
応募数のうえでも勢いが感じられたのは民間のマンション、工業化住宅、個人住宅の類いの「私」的建築であった。しかし質の点に目を向けてみると、この分野にも様々な明暗があった。いわゆるデザイナーズマンションの台頭に明らかなように、従来型のマンションのプランニングとデザインが人々のニーズと乖離し始めている事は明確である。もちろん大手ディベロッパーがこの事実に気付かないわけもなく、彼らなりの新しい試みは始まりつつある。しかし、今年の応募を見る限りにおいては、その努力は中途半端であり、小手先の取り繕いにしか見えないものが多く、逆に彼らの保守的体質を浮き彫りにする退屈なものが目立った。
個人住宅はそもそも「私」的な建築物ではあるが、この領域でも工業化住宅のような公的性格の強いものの退潮と、個人デザイナーによる単品製作の住宅の活況は明らかである、ハウスメーカーがこの状況に危機感を抱かないわけがない。彼らなりに、時代のニーズにあったプランニング・デザインを追求し、それらは高水準の成果をあげてはいる。しかし、その洗練された成果は逆に、工業化住宅と言う存在そのものの限界を明らかにしつつあるのかもしれない。
逆に個人設計者の手による個人住宅は、勢いがある。設計者や工務店をネットワーク化し、クライアントとこのネットワークとをスムーズに結びつけようという意欲的な動きもあった。私的なものの領域の中から、新たな公的なものを模索する動きである。そこで求められる公的なものとは、もちろん従来の公的な建築のような具体的な「物」とは、まったく質の異なるものであり、一種のネットワークのような目に見えないものである、公から私という転換は、深いところから、デザインの定義を変えつつある。

[B01ユニット(建築デザイン)の受賞対象を見る]

 

ページのトップにもどる