このユニットが扱うアイテムにひとつの共通点がある。なくてはならない必需品でありながら、それ自体は愛でるべき対象ではないということ。他のユニットにはない、人とモノとのクールな駆け引きが存在する審査ユニットである。オフィスのコンピュータとその関連商品、そして医療機器とその設備には、それを企画・デザインしていく者にある種の制約条件が加えられていて、それがデザインする者に未知と混乱を与えている分野でもある。なぜそういったことになるか、背景を説明しておかねばならない。まず、オフィスと医療、2つの器があって、いずれもパブリックな領域であることから、個人ユーザーをターゲットにしたような造形表現やグラフィックのテイストなどが歓迎されないこと。また、それぞれのアイテムの歴史が浅く性能の進化がめまぐるしいため、手馴れた道具を使うような慣習的な仕組みが定着しにくく、愛着がわきにくいということ。そして、購入者と使う人が異なるケースが多いため、ユーザーは使い方をマスターするための膨大なエネルギーを要求され、機器と対峙するスタンスを取りやすいということ。そういった意味から、むしろユーザーは冷めた目でこの分野を眺めている。メーカーやソフトを換えると初めから学習しなければならないインターフェース、メンテナンスの範囲が不明確で分かりにくい商品、社内システムエンジニアへの負担の増大など、機器とユーザーの良い関係が構築できないまま見切り発車をしている現状である。そしてさらにこの状況を悪化させるべく、供給側のメーカーは、その性能や価値に見合うビジュアル的な表現を、カタチや色やキャッチフレーズやシンボルマークに求め、販売実績をデザインに求めている。その結果デザイナーたちの無用なデザイン努力が行われ、オフィスや医療現場が、気の休まらない煩雑な空間になっていったと考えられる。担当のデザイナーの戸惑いや混乱は、今回の審査を通してもヒシヒシと伝わってくる。出口の見えない迷路をさまよっているようだ。
世阿弥の『花伝書』にいい言葉があった。「秘すれば花なり」である。パッと目立つ花より、葉の影にあって時折見え隠れする小さな花に世阿弥は心打たれ、これこそが花と思うのである。
このユニットにある商品も、いつかはこうなっていくのだろうと思っている。普段は白い壁のように見えていて、手を近づけるとそこが光って、大きな操作インターフェースが浮かび上がる。何もない気持ち良さ、使うことにストレスもなく、機能を果たしていく。こういった考え方は、逆にオフィスや医療の空間に安らぎや静寂をもたらすと同時に、緊急のアラートなどの情報を的確に伝えることも意味する。「静のなかの動」である。
今、この分野は確かにひとつの時代を終えようとしている。この先は、しゃかりきとなって目先の開発に注力してきた「個」の時代から、人とモノとのシステム、「全体」をテーマにすべてのメーカーが協調して動いていくだろう。そして「ユビキタス」の本当の成果を発揮するための器づくりがこれからのテーマだと考えている。今回のすべての審査のなかで、最も受賞率の低かったこのユニットで、私たち4名の審査委員は個々のデザインというより、この分野が背負っている背景を論じ合った。そして、私たちのひとつの結論がでた。このユニットではパーソナルな分野と違って、パブリックを意識しなければならない必須条件があり、それは全体との調和性を意味する。そこで、いかに前文の「静」の要素が加味できているかを大きな審査評価基準とし、今回の結果に至ったことを報告しておきたい。それは、過渡期となった今回の審査から、メーカーも私達も共に学習し、審査評価視点を公表することで、来年の新しい動きを啓蒙しようとする願いが込められている。 |