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Good Design Award 2004
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審査委員/審査講評

商品デザイン部門
A10ユニット:業務用コンピュータ、システムおよび関連商品、医療機器・設備

審査ユニット長 村田智明

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このユニットが扱うアイテムにひとつの共通点がある。なくてはならない必需品でありながら、それ自体は愛でるべき対象ではないということ。他のユニットにはない、人とモノとのクールな駆け引きが存在する審査ユニットである。オフィスのコンピュータとその関連商品、そして医療機器とその設備には、それを企画・デザインしていく者にある種の制約条件が加えられていて、それがデザインする者に未知と混乱を与えている分野でもある。なぜそういったことになるか、背景を説明しておかねばならない。まず、オフィスと医療、2つの器があって、いずれもパブリックな領域であることから、個人ユーザーをターゲットにしたような造形表現やグラフィックのテイストなどが歓迎されないこと。また、それぞれのアイテムの歴史が浅く性能の進化がめまぐるしいため、手馴れた道具を使うような慣習的な仕組みが定着しにくく、愛着がわきにくいということ。そして、購入者と使う人が異なるケースが多いため、ユーザーは使い方をマスターするための膨大なエネルギーを要求され、機器と対峙するスタンスを取りやすいということ。そういった意味から、むしろユーザーは冷めた目でこの分野を眺めている。メーカーやソフトを換えると初めから学習しなければならないインターフェース、メンテナンスの範囲が不明確で分かりにくい商品、社内システムエンジニアへの負担の増大など、機器とユーザーの良い関係が構築できないまま見切り発車をしている現状である。そしてさらにこの状況を悪化させるべく、供給側のメーカーは、その性能や価値に見合うビジュアル的な表現を、カタチや色やキャッチフレーズやシンボルマークに求め、販売実績をデザインに求めている。その結果デザイナーたちの無用なデザイン努力が行われ、オフィスや医療現場が、気の休まらない煩雑な空間になっていったと考えられる。担当のデザイナーの戸惑いや混乱は、今回の審査を通してもヒシヒシと伝わってくる。出口の見えない迷路をさまよっているようだ。
世阿弥の『花伝書』にいい言葉があった。「秘すれば花なり」である。パッと目立つ花より、葉の影にあって時折見え隠れする小さな花に世阿弥は心打たれ、これこそが花と思うのである。
このユニットにある商品も、いつかはこうなっていくのだろうと思っている。普段は白い壁のように見えていて、手を近づけるとそこが光って、大きな操作インターフェースが浮かび上がる。何もない気持ち良さ、使うことにストレスもなく、機能を果たしていく。こういった考え方は、逆にオフィスや医療の空間に安らぎや静寂をもたらすと同時に、緊急のアラートなどの情報を的確に伝えることも意味する。「静のなかの動」である。
今、この分野は確かにひとつの時代を終えようとしている。この先は、しゃかりきとなって目先の開発に注力してきた「個」の時代から、人とモノとのシステム、「全体」をテーマにすべてのメーカーが協調して動いていくだろう。そして「ユビキタス」の本当の成果を発揮するための器づくりがこれからのテーマだと考えている。今回のすべての審査のなかで、最も受賞率の低かったこのユニットで、私たち4名の審査委員は個々のデザインというより、この分野が背負っている背景を論じ合った。そして、私たちのひとつの結論がでた。このユニットではパーソナルな分野と違って、パブリックを意識しなければならない必須条件があり、それは全体との調和性を意味する。そこで、いかに前文の「静」の要素が加味できているかを大きな審査評価基準とし、今回の結果に至ったことを報告しておきたい。それは、過渡期となった今回の審査から、メーカーも私達も共に学習し、審査評価視点を公表することで、来年の新しい動きを啓蒙しようとする願いが込められている。

カテゴリ別講評

業務用コンピュータ、システムおよび関連商品 [受賞対象を見る]

オフィスという器に入れる食材選びは難しい。パーソナルな器であれば、そこに入れたい味は自分好みで揃えることができるが、複数の人が共有する器であることで、最大公約数的な嗜好性とテイストの調和が要求される。しかし、それだけで本当に心地よいオフィスが創られるのだろうか。サーバーを中心としたLANネットとその端末機は、オフィスシステムでの入り口と出口の概念を構築し、さまざまなソリューションを定着させてきた。これらの機器がある種その企業の神器となり、誇らしげに並べられていた時代がつい最近終わったような感があるのだ。私たち4人の審査委員は、ターニングポイントを迎えたこのユニットの行方を何度も論じ合った。今回の審査にあたって、去年からの進展性とそれを示唆する提案が見受けられなかったからだ。この機会に、デザインという手段が何をすべきなのかを、問いただしてみたい。機能が満足されていれば目に触れない方が寧ろいいと思われる機器に、ユーザーフレンドリーなキャラクターライン・・・というのは、いささか目障りな情報だと思うのだ。デザインしないデザインへ。心地よいオフィスのための機器のあり方は、新しいガイドラインを求め始めている。

医療機器・設備 [受賞対象を見る]

私は医療機器におけるデザインとは何かと、今も自問自答している。それほど難しいユニットであると今回の審査を終えて実感している。まず、医療現場の置かれている状況が昨今大きく変貌している。3Kに等しい厳しい職場に起因する人材不足、カルテの電子化などを始めとするシステムのデジタル化に伴う投資、医療責任の有無を問う連日の報道、病院ランキングなる比較本による患者商圏の変化など、この現場が穏やかではないのがよく理解できる。また、「患者と病院」という構図が、確かに「お客とサービス業」というイメージを含み始めてきている。この状況下において、デザインに従事する我々は何をどう改善していくことができるのか、そのテーマと実益は深遠なるものであると同時に、デザインという手段によってしか解決できない責任性の深いものであることを忘れてはならない。
そういった観点から今回の医療機器・設備のジャンルの応募状況を俯瞰すると、いささか落胆せざるを得ない。私が述べた医療現場がはらんでいる問題とは別の次元で、造形やカラーリングの作業を行っているように見えるのだ。この医療分野では人と機器との関係を「ユーザー行為の研究」から発掘し、問題の核心である「医療ミスを起こさないためのカタチとインターフェース」を表現して欲しい。そして、個々の企業で異口同音にインターフェースのルールを唱えるのはそろそろ終わりにして、視覚情報におけるアイコンの共有化や、緊急を要するアラート情報の標準化などを、企業間の研究会で推進するなど、医療分野でのデザインの果たす役割を見直していく必要性があると感じている。次年度に連携による進展が見られることを期待したい。

 

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