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深澤直人氏インタビュー

移りゆく社会を考えるきっかけに

深澤 直人(2011年度グッドデザイン賞審査委員長)

2011年度グッドデザイン賞では、大賞が東日本大震災の被災地復興に寄与したナビゲーションシステムであったり、金賞12件中5件が医療機器であったりと、い わゆる狭義のデザインで語られる一般消費者向けの製品よりも、社会性を帯びた製品や事業、システムの受賞がこれまで以上に顕著となりました。社会貢献や医療機器でもデザインが語られるようになったのは、今、そうした事物に期待が寄せられているためで、時代を反映していると感じます。今回はインターネットを通じた受賞者投票も実施しましたので、参加者の方々も、社会的な視点から「グッドデザイン賞」をとらえたとも考えられます。
 社会的な視点の強弱が受賞を左右したということはありません。ただ、審査で共通するマインドとして、はじめに「適正」と いう言葉を提示しました。「新たなモノは生活をうるおす」「産業を拡大するために大市場に参入する」――これまで「正しい」とされていたことが、果たして今後もそう であるか。それを今、私たちが慎重に考え直す必要があることを念頭に置きましょうと審査委員の皆さんにお伝えしました。
 2011年は震災や原子力発電所の問題など、従来の「適正」が突然崩れ去った出来事が多くありました。自らの利益を優先した結果、しっぺ返しを食らうこともあります。エネルギーの作り方も、何が正しい方法なのかを考えないといけません。 走り続けていると見えなくなりがちですが、物事を生み出すことには負の側面もあります。簡単に自分たちの行いを正しいと考えるのではなく、慎重になるべき時代になっています。「グッドデザイン賞」も、物事のバランスをうまく取るためのきっかけになればと、「適正」を掲げたのです。
 「グッドデザイン賞」は、経済をけん引する産業に貢献したデザインの顕彰制度として歩みを進めてきました。そのため経済・産業への貢献が、受賞の重要な要因となって いました。結果的に、革新的な事物に贈られる賞だと見られているように感じます。 確かに「刺激」「斬新」は、デザインの大きな要素ですが、それが今後も「正しい」 かはわかりません。また、「色や形、ビジュアルに訴えかけるものがなければ、デザインにはならない」と考えてしまうと、そもそも支援する対象が偏ってしまいます。
 何より、革新的なものは当然、誰も経験していないものだから、ある程度疑いをかける必要があると思います。保守的になれというわけではありません。人間は経験なしに判断できませんから、慎重に物事を進めていくことが求められていると思います。

二極化が進むデザイン

「デザイン」という概念に当てはまる事物は目に見えるものだけではないため、形として「デザイン」とは何かを示すことは難しいものです。例えば、自動車や家電製品といったものは、デザインの要素がはっきりしているけれど、「グッドデザイン賞」では近年、そうした例は減りつつあり、姿形を持たないデザインが増えてきています。 グッドデザイン大賞を受賞した本田技研工業の「通行実績情報マップ」が象徴的で、クルマが走った結果生まれる情報をデザインしたもの。家電製品も、よりハウジングや設備設計に重点を置いたものが増えていて、独立した製品での受賞が往時より少なくなってきました。
 コミュニケーションの分野が特に顕著で、クラウドサービスというのもデザインのひとつだと思います。これは、データを手元に保存するのではなくて、ネットワーク上 に置くわけですが、そうすると「データ」 としての形が限りなく見えづらくなっています。しかし姿や形がなくても産業に参加しているという事実は厳然としてあります。 そうすると、ビジュアルの良さだけを判断基準にはできません。では「グッドデザイン賞」は何を基準とすべきか、いつも迷うことになるわけですが...ひとつには体験や経験の豊かさ、簡単にいえば使い勝手などの観点があるでしょう。
 形がないと、機能が見えづらくなるということなので、簡単にコントロールするためのインターフェースが重要になります。単純に言えば、インタラクションデザインで、 コンピューターや携帯端末などのオペレーションシステム、アプリケーションのデザインが日進月歩で発達しています。この分野では、もっと携わる専門家が増えてもいい。
 一方で、「グッドデザイン賞」では、生活の中で、長い間存在してきた「ロングライフデザイン」や「サステナブルデザイン」 を重要な柱として掲げています。これらは、 よりエモーショナルで情緒的な側面からデザインの重要性が語られるべきで、姿形のないものとは、評価する土台が異なります。 こうしたデザインの評価が今後なくなることはなく、むしろ力を注いで続けるべきことです。デザインの方向性は、こうした二極化が進んでいくのではないでしょうか。

「グッドデザイン賞」も「形」をなくす

 これまでは、個々人がモノを購入し、所有することで消費を拡大してきたけれど、 例えば若い人がモノを買わなくなった、クルマに乗らなくなった...ということが言われています。けれど、モノだってクルマだって、それ自体の存在意義を失ったわけではありません。プロダクトを手に入れる喜び、 所有している喜びも相変わらずあると思い ますが、それと共存し始めたのが、「モノを個人で持つ必要があるのか」という価値観です。インターネットのように、みんなで一つのものを使えば効率がいいという事物は存在していますし、今後「個人として必要・不必要」の見方がより明確になるのではないでしょうか。
 クルマの使われ方を考えれば、たとえ個人での所有台数が減っても、移動体として、道具としてのクルマは確実に必要なので、交通システムや利用の仕組みを考えること が求められる。今回、新幹線のような公共交通機関のサービスに焦点が置かれたのは、社会の潮流を示していると感じますし、今回の受賞作に現れていると思います。
 感性的な表現だけにフォーカスして、所有欲を刺激することもなくなりはしないでしょうが、それだけに固執することは、時代遅れで上手くいかなくなるでしょう。
 そうなると、何がデザインで、何がデザインでないか――「グッドデザイン賞」自体の形もなくなっていくのかもしれません。 従来の、デザインの良し悪しを端的に判断 するという賞の価値が、何か別のものに変化していくということです。
 今年は、産業が経済的豊かさへの寄与を第一に目指すのか、それとも別の道を探すのかという分岐点でもありました。「グッドデザイン賞」でも、利益追求に邁進する産業の視点だけでデザインをとらえるのではなく、厳しい状況下でも豊かに暮らす方法やモノは何か、という問いかけの中には、 さまざまな方が「デザイン」について理解しやすくなるヒントがあるのでは、という思いがあります。
 いずれにせよ、既存の形や手法にこだわり、それを保ち続けようとするのは、時代として無理がありそうです。社会の流れに応じ、それぞれ適した形に姿を変えていくことが一層、求められると思います。

(本内容は、宣伝会議刊「月刊ブレーン」2012年1月号特集に掲載の記事を転載したものです。)