2005 Outline

2005年度グッドデザイン賞審査総評

 
山中 俊治
グッドデザイン賞審査副委員長
 
山中俊治

 今回の大賞受賞商品であるインスリン用注射針が、商品として画期的かつ非常に優れたものであることには異論はない。しかし、はたして「デザイン」として評価されるべきものなのかという声が審査員の間でも聞かれる。このことを論じるには「デザイン」とは何かについての詳細な議論が必要ではあるが、この場を借りて私の個人的な見解を、簡単に表明しておきたいと思う。

 グッドデザイン賞と一般的な優良製品選定との違いを明示するとすれば、それは美的観点を中心とした「人の感性に訴える機能」にウェイトを置くことである。「デザイン」として評価されるべきが、ものの「見栄え」だけではないということについては、審査員の間でも合意が得られており、審美的な視覚効果に加え、手触りや、わかりやすさ、快適さなど、製品の「人の感性に訴える機能」全般が評価対象とされる。しかもその効果は、適切なコストや生産性、安全性、環境配慮などの上に実現されていなければならない。このような点については、少なくともデザイナーの間では共通認識が得られていると考える。

 さて、「人の感性に訴える機能」は、工学的に扱いにくい領域である。なぜなら工学の基礎となる自然科学は、いまだに人の感性についてほとんど解明できていないからだ。もちろん心理学や認知科学、社会学を基礎とした手法も広く研究されている。しかし、数学モデルにせよ、コンピュータシミュレーションにせよ、人の心理やその結果としてのふるまいを再現可能なモデルとして記述できる範囲は、依然として非常に小さく、それを客観的に評価する指標も確立されていない。従って工学の枠組みでは、「人の感性に訴える機能」を十分に設計することはできないし、結果を評価することも難しい。
このような状況であればこそ、作り手の感性を頼りにしたものづくりが重要な意味を持つ。デザイナーは、その手法の多くを芸術から学んでいる。芸術は著作物や音楽や彫刻の、感性に訴える効果を長い歴史の中で培ってきた技術である。その方法は主に、作者の感性を磨き上げ、手わざを熟練することで効果を得るものである。同時に、できあがった作品に接する機会を設け、評論を発達させる事で、人々の感性を底上げすることも重要である。つまり、腕っこきと目利きを広めることで社会の感度を上げてゆく、文化に根ざした方法である。この方法は製品設計に応用され、デザイナーは自らの感性を磨き、製品の「人の感性に訴える機能」を評価するに当たっては、目利きを集めてこれを行う。

 さて、インスリン用注射針の評価について、二つの観点で考察を試みる。
一つは、果たしてこれはデザインとして評価されるべき「人の感性に訴える機能」を有するか。二つめはこれをデザイナーが評価することは適切か、である。
この注射針の主な機能は痛みを和らげることである。痛みは明らかに感覚的なものであり、結果としてこの製品が安心感や快適さを提供することに成功している。「人の感性に訴える機能」を有するとは言えよう。従ってこの製品はデザインが目指すものと同様の効果を持つものとして評価することは可能である。
しかしそれをデザイナーが評価できるかということについては疑問が残る。なぜなら、この商品においてなされた問題解決は、まったく芸術の方法によっていない。十分に細い針が、人の痛点という感覚受容器の分解能を超えるために、無痛で皮膚を通過することは、既知の科学的事実であり、それを実現するための製造法もきわめて工学的に解決されている。文化的な手法でなされていない解決策を、感性を磨いた目利きが評価する事に意味があるだろうか。

 私は、インスリン用注射針が大賞であることに異を唱える気は全くない。デザインの領域として評価されるべき特性を備えているからだ。しかし、これを自らの範疇として評価するなら、デザイナーは、純粋に工学的なアプローチも自らの仕事であることを認めなければならない。
今回の大賞受賞商品に、既存のプロフェッショナル・デザイナーが得意としている芸術の方法はまったく貢献していない。デザイナー達が意を尽くした3000点にのぼる商品は、いずれもこれを上回る評価を得ることができなかった。投票に参加したデザイナーは、この現実を真摯に受け止めるべきと考える。

 ものづくりにおいて工学的手法と芸術的手法は相互補完的である。工業製品の設計は、科学で理解できる範囲は工学にゆだね、科学が解明できない領域は芸術にゆだねられる。その中でデザイナーという職能が、常に芸術的手法の側に立たなければならない理由はない。プロダクト・デザイナーはその境界にいると考える方が自然である。歴史的に見れば、両者の境界は常に流動的であり、デザイナーの仕事の範囲は揺れ動いてきた。レイモンド・ローウィ以降の多くのデザイナーは、芸術的手法に寄りかかって仕事をしてきたかもしれない。しかし、それ以前であれば痛くない針を作ることも、座り心地の良い椅子を作ること同様、デザイナーの仕事であったような気がする。

 
 
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