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審査講評
これからの制度としてのGマーク
2002年度グッドデザイン賞
審査副委員長 森山明子

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「2002年度グッドデザイン賞」の大賞ノミネート作品は6点。「モエレ沼公園」、「廃プラスチック再資源化プロジェクト」「画像編集ソフト/ライフ・ウィズ・フォトシネマ」、「デジタルスチルカメラ/EXILIMシリーズ」、「9坪ハウス」、「蛍光ランプ/ネオボールZ」である。10月30日、東京 ホテルイースト21ホールにその6点が並べられ、応募者によるプレゼンテーションの後、投票が行われた。IR(インベスター・リレーションシップ)になぞらえてWRM(ウィナーズ・リレーションシップ・マネジメント)と呼んだこの大賞決定方式は、1980年Gマークに大賞が設けられて以来初めて採用されたものだ。
投票の結果、「モエレ沼公園」が大賞に選ばれた。次点は「廃プラスチック再資源化プロジェクト」。大賞候補選出の条件は<エクセレント>であるから、モエレ沼公園は<2002年、最もエクセレントなデザイン>に選ばれたことになる。ここでは、大賞ノミネート作6点から、今日のデザイン動向を読み解くことを試みたい。

半世紀後の<グッドデザイン>
2002年は日本のデザインにとって記念すべき年だ。わが国が占領を解かれ、デザイン活動が本格化して50年目だからである。輸出製品に刻印された<made in occupied Japan>はこの年、<made in Japan>に変わった。日本インダストリアルデザイナー協会の50周年の記念事業は、創立の同日同時間である10月18日午後2時に始められた。翌1953年創立の日本デザインコミッティーの50年記念展「デザインの原形」は、9月4日から9日まで松屋銀座で開催。この組織は当初国際デザインコミッティー、次いで1959―1963年にはグッドデザインコミッティーを名称としていた。同じ1953年設立の日本デザイン学会の記念大会は、2003年に予定されている。これら3つの組織づくりに深く関与した勝見 勝の文責によるコミッティー発足時のコメントは、今日のグッドデザイン賞に照らすと示唆に富んで興味深い。
「美術とデザインと建築は、時代の良き形を追い求める人間活動の、互いに切り離せぬ構成要素である。これらはしばしば、孤立した文化領域、互いに対立する活動とみなされがちであるが、専門と分化は、人類文明のトータルな進歩を前提としてのみ是認されよう。われわれは相互の無理解、先入観、専門家が陥りがちの独断を排斥する。建築家とデザイナーと美術家は、汎地球的な規模における人類文化のため、協力を重ねなければならない必要性を、改めてここに確認する」(英著・訳:勝見 勝)。創立メンバー15人中の評論家は勝見 勝、滝口修造、浜口隆一。デザイン、アート、建築の論客ぞろいだ。
建築部門より本年度独立した環境デザイン審査ユニットから立ち上がって大賞に選ばれた「モエレ沼公園」こそ、きっかり半世紀前に創設されたコミッティーの希望を体現するものなのかもしれない。今回の投票者の多くは企業のインハウスデザイナーであることから、大賞はインダストリアルデザイナーの意思の現われとも言える。大地の彫刻家イサム・ノグチは早くも1933年、「モエレ沼公園」の原型というべきアースワークを構想し、中心的な造形であるプレイマウンテンをブロンズで残している。その造形は世界のどこでも実現せず、ただ札幌の地で現実のものとなった未完のプロジェクトだ。公園完成はノグチの生誕100年にあたる2004年を予定する。
コミッティー創設メンバーの中で唯一のインダストリアルデザイナー、柳 宗理が昨年の秋に文化功労者に選ばれたことも同様に象徴的だ。ヤカンやボウルやスツールのデザイナーが、受章の栄に輝いたのは初めてだろう。

再資源化というテーマ
<エクセレント>の一語で大賞を選出することは妥当だったのだろうか。そんな思いは依然残る。「デジタルスチルカメラEX-S1」はカードサイズの88×55×11.3ミリ。画像編集ソフトと蛍光ランプはこのカテゴリーに属する。「9坪ハウス」は5.4×5.4メートル、「モエレ沼公園」は188ヘクタールで、その間に新日鐵の廃プラスチック再資源化用のコークス炉がくる。大賞の投票結果はなぜか、この<サイズ・規模>の順に近いではないか。
その反証を探って『S,M,L,XL』を開いてみる。レム・コールハース著、ブルース・マウのデザインで1997年、タッシェン社から発刊された国際版の方だ。これはコールハースと彼の事務所OMAが手掛けたプロジェクトを<Small><Medium><Large><Extra-Large>を基準として編集し、話題をさらった1300ページ超の大冊。福岡のプロジェクト「ネクサス」(1991年)さえスモールサイズに収録されるこの本を繙いて各作品を採点したとしても、サイズ順という結果は出そうにない。そうであるなら、ほぼサイズに従う投票結果に対する疑問は、勝見 勝が条件つきで認めた<専門と分化>に慣らされての疑いだったのだろうか。どうやら、投票結果を解釈する鍵は、別に探る方がよさそうだ。そのキーワードは<再資源化>である。
新日本製鐵の「廃プラスチックの再資源化プロジェクト」がゴミの再資源化であることは分かりやすい。 世界初というこの技術の核は、コークス炉を1200度まで加熱する過程で、炭化水素油(軽油、タール)、コークス炉ガス、コークスを回収できること。廃プラスチックを高温で乾留するために有害物質は残らない。炭化水素油は樹脂用や化学原料に、コークスは鉄鉱石の還元剤に、コークス炉ガスは製鉄所の燃料ガスや発電所等で利用できる。その割合は、炭化水素油40%、コークス20%、コークス炉ガス40%。廃プラスチックの40%がバージンプラスチックに生まれ変わるのである。
だが、このプロジェクトが<コロンブスの卵>なのは、石油還元技術自体にはなく、そのために既存のコークス炉を使用した点にある。廃プラスチックについては、生分解性プラスチックの使用は予想に反して進まず、1994年にドイツのBASFグループが開発して話題となった化学処理により石油に還元する方法も実験の域を出ないまま。燃焼させてのエネルギー回収が進んでいただけだった。それらを研究・実験しながら、新日鐵が選択したのが既存施設の利用だ。製鉄業にとって聖域と言うべきコークス炉にゴミをぶち込むというタブーを犯すことを意味する。このプロジェクトで再資源化されるのはゴミだけでなく、コークス炉自体なのである。
モエレ沼はゴミの埋立地だった。札幌市が1979年からゴミ埋立地として使用した後、土地の有効活用を図るべく公園基盤造成に着手した敷地である。1988年3月30日午後、イサム・ノグチはモエレ沼を訪れた。芸術の森や現在の札幌高専敷地を見て何の反応も示さなかったノグチが、この沼に強い感興を催す。「周りが水に囲まれて、遠くには山が見えるという、そういう雄大な地形ですが、下にゴミが入っている埋立地だということで、自然の地形が残っているわけではない。それで自分が好きなようにしてもいい、自由に動き回れるということが、気に入った最大の理由だったと思います」。これは3月30日にノグチに同道した山本 仁が森林保全担当課長だった2000年6月、札幌高専で開催された芸術工学会春期大会のトークセッションで語ったことだ。セッションの司会をしていて、この発言に身を乗り出したのが記憶に新しい。
美しさのかけらもないような沼はそれから10年後、子供のための夢のプレイグラウンドとして公開された。「人間と自然との関係ができないと、人間はかわいそうなものになる」との言葉をノグチは残した。その意思を継承すべく市は、中心施設である「ガラスのピラミッド」には雪を利用した冷房システムを、漣が打ち寄せる「モエレビーチ」にはサンゴやバクテリアを用いた水浄化システムを採用して、環境負荷の低減を図った。こうして大地は再資源化された。

歴史と思想を掘り起こす
カシオ計算機のデジタルスチルカメラは、わが国が得意の<コンパクト化>を特徴とする。個人的には、レンズ部分がミッキーマウスの耳を思わせるのが好ましい。
世界初のクレジットカード会社ダイナースのカード発行は1950年。この紙製カードは日本では発行されなかった。日本人が初めて手にしたプリペイドカードは、1982年にNTT(電々公社)発行のテレホンカードだ。そして、電卓を85×54×0.8ミリの超薄型カードサイズにしたのはTAB・LSIとフィルム太陽電池搭載の「SL-800」、1980年発売だ。1972年、<答え一発、カシオミニ>の後継商品である。小型化こそはカシオ計算機のお家芸なのだ。デジタルカメラをカードサイズ化するのは、カシオミニ発売30年後の2002年でなければならない……。目標としてこれほど分かりやすいことはあるまい。カシオは自らの歴史を再資源化したのだ、と思いたくもなるではないか。
この国の小型化デザインの歴史を遡れば、最小限住宅に行き当たる。清家 清、池辺 陽、前川国男とさまざま提案した最小限住宅ではあるが、建築家の増沢 洵(ますざわまこと、1925―1990)は1952年に「最小限住居の試作」を発表している。偶然かどうか、同じ名前のデザイナー小泉 誠が、半世紀後にそれをリデザインしたのが「9坪ハウス」である。この例から、デザイン思想の再資源化を読み取ることは容易である。
「9坪ハウス」なる住宅は受注設計型ではない。建築家・デザイナーのデザインする住宅を、ユーザーが家具や車を買うように気軽に購入できることを目標とした。2000年度のGマーク大賞受賞の「A-POC」や同じ三宅一生の「プリーツ・プリーズ」が手本とした、ウォークマン、スウォッチ、ジーンズ、AKARI(イサム・ノグチ)の線上にあると言っていい。3間×3間の正方形プラン、3坪の吹き抜け、フラットルーフの外形、丸柱、メインファサードの開口部が、このプロジェクトで浮かび上がった「最小限住居の5原則」だ。この5原則からは、エドガー・カウフマンの著書『近代デザインとは何か』が香ってくる。
1950年ニューヨーク近代美術館刊のこの小冊子の白眉は、有名な「12の定理」だ。<1.近代デザインは近代的生活の実際的必要を充足すべきである 2.近代デザインはわれわれの時代精神を表現すべきである 3.近代デザインは純粋美術や純粋科学の現在の進歩から利益を受けるべきである 4.近代デザインは新材料・新技術を駆使し、在来のそれを発展すべきである>。その最後は、<12.近代デザインはできるだけ広く公衆に奉仕すべきで、華美豪華の要求に挑戦すべきはもとより、控え目な欲求や限られた価格をも考慮に入れるべきである>。最小限住居の提唱者がこれを知らなかったはずはない。
カウフマン一家はフランク・ロイド・ライトの「落水荘」とノイトラの別荘の持ち主であり、著者はニューヨーク近代美術館理事。同美術館とシカゴ・マーチャンダイズマートが1950年に開始したのがグッドデザイン選定だった。日本デザインコミッティー創立もこうした動きと連動していた。増沢は創立メンバーに名前を連ねることはなかったが、時代精神を共有していたのは明らかである。

エコロジーデザイン席捲の年
ここで言う<再資源化>のすべてがエコロジーと重なるわけではない。それでも、投票結果を聞きながら、今年のグッドデザイン賞はエコロジーデザインが席捲したとの感慨に襲われた。大賞候補に上った新日鐵のプロジェクトは新領域応募作ながら紛れもなくエコプロジェクトだし、消費電力を8割削減できるネオボールのエコロジーデザイン賞受賞は投票時点ですでに決まっていた。「モエレ沼公園」にさえ、マスタープランを担当したイサム・ノグチの地球環境に配慮するデザインがちりばめられていた。
東芝ライテックが電球型蛍光ランプを開発したのは1980年、世界初である。省エネ化、小型化、美しいフォルムを追求して白熱電球に替わる新光源を目指したのがネオボールだ。ランプ全体の消費電力比率は19%と高く、その性能は電力消費全体に想像以上の影響力を持つ。今回受賞の業務用「電球60ワットタイプレフランプ形」は、一般電球と同等の明るさで消費電力及び発熱量約1/5、寿命約6倍を達成した。60ワット形電球の80%(約3600万個)を「ネオボールZ」に置き換えれば、原油換算で年間約38万キロリットル、二酸化炭素換算で年間約64万トンの削減に相当する効果をもたらすという。
新日鐵の廃プラスチック再資源化のために稼働中の4ヶ所の処理能力は現在約12万トンだ。2000年4月施行の容器包装リサイクル法によって分別された廃プラスチック処理のうち、新日鐵のシェアは40%ほど。同社は契約自治体からの処理費用収入、軽油とタールの販売収入に加え、技術使用料収入を見込めることから、自治体入札の際に事実上の価格決定権を握ることができるようだ。容器包装リサイクル法に基づく年間約500万トンの家庭用廃プラスチックの分別が進めば、そのすべてが再資源化される可能性を秘めている。すでにフランス、韓国、中国などから技術移転の問い合わせがあるというから、世界的に注目されるシステムであることは疑いがない。
2001年度のエコロジーデザイン賞は、「Re-食器(再生の器)」、「ガラス再資源化ネットワーク」の2点が獲得し、前者は大賞候補にも上った。2002年度同賞は「ネオボールZ」に加え、「エコタイヤ/DNAシリーズ」、「屋上緑化システム」に贈られている。エコタイヤは、日米独仏で特許を取得している。
自治体の取り組みの成果が表れたことにも注目できる。「Re-食器」は、愛知産業大学造形学部産業デザイン学科の佐藤延男教授がデザインを担当した官学協同プロジェクトだ。さらに、廃プラスチック再資源化プロジェクト、ネオボール、エコタイヤともに、世界に先駆けての開発であることが心強い。省エネ、エコブーム、バブル経済崩壊によるエコ広告終息などを経て、エコロジーデザインが本業に組み込むべき喫緊のテーマとなった。社長賞にも選ばれた新日鐵のプロジェクトは、30年前に生産量ピークを経験した鉄鋼業界の生き残りにとって再資源化がいかに有望であるかを物語る。「2002年度グッドデザイン賞」は、エコロジーデザインの果実収穫の場だったのである。

コミュニケーションという武器
とは言え、新日本製鐵のプロジェクトがなぜデザインなのかについては検証の余地があるだろう。同社の小谷勝彦環境部長が以前属していたIT事業部にあっては、コンセプト―デザイン―エンジニアリングが事業開発の流れだったという。
デザインは技術の後工程を意味するのではなかった。今回の事業を<社会システムデザイン>と捉えるのは自然だった、と小谷部長は語る。工業社会のための<工業デザイン>にとっては、このプロジェクトは無縁かもしれない。しかし、21世紀型知識社会のための<知識デザイン>論を援用すれば、デザインは生産の一工程でも付加価値でもなく、価値生産プロセス全体に関わる。同様に、図化を語源とする<グラフィック>全盛は終わり、工業に代わる生産サービスに対応し、経験価値を生みだすコミュニケーションデザインが重要となる。
グッドデザイン賞応募の際のディレクターの項目には、新日本製鐵環境部の2名に並んで、オーシマ・デザイン設計の大島礼治の名前が明記されている。同氏は、このプロジェクトの高度な技術を市民および自治体に理解してもらうコミュニケーションデザインを担当した。環境問題の解決には環境科学と市民意識向上の両輪がかみあうことが必須だ。このプロジェクトでは、市民のゴミ分別の精度が廃プラスチック再資源化の成否を分かつ。技術を市民、そして行政につなぐのがコミュニケーション活動だと考えれば、デザイナーが活躍できる分野は無限にある。
日本商工会議所会頭賞受賞の「八幡ねじのデザインシステム」のコミュニケーションデザインは、より直接的だ。製品数5万アイテムに及び、1カ月に18万パッケージ出荷される締結部品の流通を支えるのは、同社自慢のデータベースとコンピュータ活用だけではない。ロゴ、パッケージ、ディスプレイ、カタログ、WEBサイトと、コミュニケーションの全領域に行き渡ったデザインなのだ。ネジの機能をそのまま見せようとするデザインワークこそが、製品群を表舞台に押し上げ八幡ねじという会社を磨く。製品を磨くのが八幡ねじのデザインであれば、製品を解剖するのが金賞受賞の「デザインの解剖シリーズ」。こちらは、前述の日本デザインコミッティーが2001年来3度開催した展覧会である。プレパラートに載ったのは「キシリトール」、「写ルンです」、そして1967年生まれの「リカちゃん」。ネジ一本の最少部品にまで解体されたそれらは、商品の形・記号すべ
てに理由があることをだれにでも分かりやすく伝える。分かっているはずのデザイナーも、<神は細部に宿る>ことをあらためて信じたくなる展覧会ではなかろうか。
ところで、コミュニケーションの質を図る一つの尺度にインタラクション性があるだろう。大賞ノミネートのソフトウェア「ライフ・ウィズ・フォトシネマ」が、このテーマに関する今年一番の収穫だ。写真と音楽を選べばだれでも自動的にフォトシネマを作り、だれかに送る事が、分厚いマニュアルなしにできる。デジタルカメラを併せ、記憶を再資源化するためのツールと言えなくもない。大賞選出の場面でビビッドなプレゼンテーションを見せ、投票数のサイズ順をやや乱すという貢献もしたこのソフトウェアは、プロのデザイナー、さらにデザイン教育者にとって、<危険>に満ちたものかもしれない。
これらを成し遂げた平野湟太郎、佐藤 卓、平野友康は、グラフィックデザイナーというよりコミュニケーターと呼ぶにふさわしい。

デザインという長い旅の明日は…
<デザインの極み、金・銀の技>をキャッチフレーズとする「江戸蒔絵―光悦・光琳・羊遊斎―」を9月に見た。東京国立博物館の創立130周年記念特別展だ。室町時代に完成をみた蒔絵の、江戸時代における継承、逸脱、革新、洗練・写実・奇巧、輸出の様を、贅沢な出品物で語って見ごたえがあった。その様式変貌は、ギリシャ美術変化のセオリーさえ思い起こさせる。日本インダストリアルデザイナー協会が30周年記念出版『精緻の構造』(1983年刊)で自己規定した特質の源流がそこにある。失われたものもまた大きいと思わせる展覧会であった。
「ジャパン・テキスタイル・コンテスト2002」の審査を同じ9月に経験した。
これは安土桃山時代以来の伝統を有する産地、尾張一宮で開催された実作コンペ。入賞作品はその後、パリ開催の糸の国際見本市「エクスポフィル」で特別展示される。審査と同日の記者発表用講評として「テキスタイルという長い旅の明日」という一文を書いた。名称がテキスタイルデザインではなくテキスタイルだっただけで、旅の起点を文明発生時まで遡ることができそうな気がしたのが不思議だ。
グッドデザイン賞においてデザインの専門・分化は覆えされようとしている。商品、建築・環境、コミュニケーション、新領域の4部門は対等で、関係者の共感・感動の質が、大賞・特別賞授賞を決める。共感の表明には<エクセレント>の一言で十分だった。デザイナー、建築家に美術家さえも加わり、「汎地球的な規模における人類文化のため、協力を重ねなければならない」という半世紀前の良識ある人々の希望が実現されつつあるかのように、一瞬感じられた。
今年のキーワードである<再資源化>の対象は、物質、国土、歴史、思想に及ぶ。その再資源化には、ポストモダンの時代の恣意的な引用とは異なり、確かな理由が求められる。その産物は、ときには造形を超えてシステムと呼ばれる。そうした事態の2002年の両極のシンボルが、「モエレ沼公園」、「廃プラスチック再資源化プロジェクト」だ。共感を表明する票が投じられたのは、個に胚胎し個を超える圧倒的な美と、社会を下支えする優れたシステムだったのである。