2008年度受賞結果の概要

2008年度審査委員長総評/審査講評

審査委員長 総評

「変革と戦略」

2008年度グッドデザイン賞 審査委員長

内藤 廣

建築家


ふたつにあらず

ここ数年来いつも頭の中に在ったことは,我が国のデザイン界をもっと元気にできないか、もっと心躍るエキサイティングな場にできないか、ということでした。大賞選出の投票で、トヨタのiQとホンダのFCXクラリティが決戦投票に残った時、壇上に上がった審議委員である三宅一生さんが「ふたつを一つにしたらいいんじゃないかな」と言われたのが印象的でした。こんな過激な、そして本質的な言葉が自由に行き交うのが、本来のグッドデザイン賞のあるべき姿なのではないか、と感じました。

拡大傾向から縮小傾向へ

2005年、我が国は人口のピークを迎えました。人口予測によると、海外労働者の流入を勘案しても、これからはどんどん人口が減っていきます。かつて我が国と同じような問題を抱えながら、うまく人口をコントロールしたドイツとは違って、もはや避けようのない大きな問題を抱えているのです。
我が国の人口動態は、人類がこれまで体験したことのないものだと言われています。時代は未体験ゾーンに入りつつあるのです。過去の事例が役に立つようなこれまでとは違います。前例主義は通用しません。いわゆるふたコブラクダのような人口構成、つまり団塊の世代の高い山と、深い谷を挟んで彼らの子供の世代の高い山、この構成が問題なのです。高齢化率が急速に高まり、労働者人口が激減していきます。歴史上類のない超高齢化社会に向き合わねばならなりません。合理化やロボットによる自動化でそれを補っても、GDPも減っていきます。いわば縮小傾向の社会に突入していくのです。この傾向を、豊かで創造的なものにできるかが問われているのです。
人口構成がもたらすこの傾向は、20年後、中国やその他のアジアの国々でも起きてくると言われています。そう考えれば、私たちは20年後のアジアのマーケティングをしているのだ、と考えることもできます。今の我々の社会のニーズに真剣に応えることは、20年後のアジアのニーズに応えることにもなるのです。
予測では、20年後の公共投資は半分以下になります。また、現在都市に流入している若年人口がそのまま高齢化していきますから、都市の高齢化率は地方をしのぐことになります。現在は地方の過疎化と高齢化が大きな問題として浮上しつつありますが、近未来は都市部の極端な高齢化が大問題として出てきます。法制度から社会システムまで、高度成長モデルで突き進んできた50年、それはそれで大きな成果があったわけですが、近未来を考えればどうしても新しいモデルが必要なのです。
新しい社会システム、経済システム、新しい価値のパラダイムが出現しなければ、国全体が保たない所まできています。これを衰退と捉えるのではなく、この縮小傾向を豊かさに結びつけられるか、ただ縮んでいくのではなくて、これを新しい価値に変え、近未来に向けてより活力のあるマーケットや産業を生み出せるかが問われているのです。

デザインの役割

こうした背景を前提に、「デザイン」には何ができるでしょうか。それが私たちに突き付けられた大きな問題です。私は、技術的なイノベーションとともに、「デザイン」こそこの困難なブレークスルーを可能にするのではないか、と思っています。何故なら、新しい価値創造は、技術ばかりでなくその時代の社会と共に生み出されていくものだからです。生み出される技術を適格に社会と結びつける、つまり「モノの論理」と「ヒノの心理」を橋渡しし結びつけるのはデザインです。新しい社会創造に向けて、デザインの役割はますます大きくなっていかざるを得ないのです。 グッドデザイン賞の審査の進行役ともいえる委員長になって二年目、責任の重さを痛感するとともに、やらねばならないことも見えてきました。近年、グッドデザイン賞がカバーするテリトリー、つまり「デザイン」の領域は拡大するばかりです。いまや日用品から都市や情報まで広がりを持つに至りました。我々が目にするものすべて、ひょっとしたら目に見えないものまで含めたすべて、といっても過言ではありません。急激な技術進化がこの広がりをもたらしたのだと思います。我々はいわば技術革命の最中に居るのです。
日用品や家電はもちろん、ナノテクから都市、さらにはグローバルなネットワークまで応募が寄せられます。グッドデザイン賞という器は、改築や増築では追いつかない所まで大きくなってしまったのです。この広がりのなかでグッドデザイン賞という場で披露される価値観も、以前とは比べものにならないほど多様化しています。こんな催しは世界中見渡しても例がありません。しかし、この領域の拡大にともなって、「デザイン」という言葉の意味も重さも薄まってきている、という危惧も持っています。

再構築

振り返ってみれば、グッドデザイン賞そのものも拡大一辺倒の高度成長モデルの中にいたのです。新しい時代に向けて、デザインを再定義し、それにふさわしいモデルチェンジが必要です。こうした問題意識を持って、今年度は大きな改革をおこないました。言ってみれば、これまで小さな改修工事や増築を繰り返してきた住まいを、思い切って建て直すようなものです。カテゴリー枠を模様替えし、ユニットの再配置をし、審査の位置付けと取り組みを見直しました。「人間をカテゴリー分けの中心に置きたい」、「近未来のディマンドサイドに立って審査する」という大方針を立て、新たなる枠組み作りに着手しました。まだまだ不充分ですが、まずは第一歩を踏み出したわけです。

「なんでわざわざそんなことをしなくちゃいけないんだ。」
「そんなにきれいにカテゴリー分けなんてできないんだよ。」
「それは単に分類を変えるだけじゃないのか。」
「やるんだったら審査そのものの考え方を変えなきゃ意味ないよ。」
「そもそもGood Designて何なんだ、それを議論しなきゃ。」
「理念がなければ、いくら手続きを論じてもしょうがないよ。」
「ここのところのグッドデザイン賞の受賞作には理解し難いものがある。」
「世の中そんな甘いものじゃない、会社の中は大変なんだよ。」
「大企業より地方の苦しい中小企業をもっと応援できないのか。」
「大賞の選出、あれはイベント化し過ぎているんじゃないか。」
「不通過となった時の判断基準が不透明だ」

全体の枠組みの見直しをしようとしている最中に、わたしに寄せられた言葉です。どんな分野でもそうですが、長年慣れ親しんだ仕組みに手を入れると、これまでに鬱積してきた不満や新しい試みの不備について、様々な意見が噴出するものです。肯定的なもの、否定的なもの、気持ちとしては賛同するけれど難しさにおいて否定するもの,さまざまなご意見はひとつひとつ貴重なアドバイスとして受け止めました。虎の尾を踏んだのではないか、と思ったことも一度や二度ではありません。
しかし、デザインというのは、どう考えても人間生活を豊かにするための行為です。また、どのようなものであれ、デザインは必ず近未来に向けて放たれている行為です。新たなる「人間中心主義」を掲げること、「近未来のディマンドサイドに立って審査する」という大きな前提を置くことは、方向性として間違っているとは思えないのです。
モデルチェンジに戸惑う周囲の声もありましたが、一番気になったのは、応募される方達から賛同を得られるかどうかでした。今年も3,000点を越える多くのご応募をいただきました。新しい試みを支持していただいた結果だと思っています。何よりの応援です。

良心から戦略へ

グッドデザイン賞という仕組みは、1957年に設立されてから50年、日本デザイン振興会が民営化されて10年、この間多くの方達の努力が実を結んで、多分野から数千の応募が寄せられる今日の隆盛に至っています。戦災復興から高度成長を経て、バブルとその崩壊、そして21世紀へ、グッドデザイン賞はその役割をこれまで十二分に果たしてきたと言えます。一昨年50周年を迎え、ひとつの区切りを跨ぎました。今は、新たな世紀のミッションに向けて船出するときです。
ヨーロッパ各国はもちろん近年台頭著しい韓国などは、デザインに関してその取り組みはきわめて戦略的です。我が国は少し事情が違います。それぞれの企業内デザイナーや独立のオフィスを構えるデザイナーが、それこそ良心に基づいて少しでも良いものを作ろう、という個々の努力の積み上げで今日に至っています。その高いレベルも、それを支える誇りも、個々のモノ造りの良心に支えられてきたのです。残念なことに,デザインを送り出す企業、そしてそれを受け入れる世の中は、それを当然のこととする気風があります。モノ造りの良心に甘えてきたのです。
困難な状況をモノ造りの良心で支える、それは文化的風土としては素晴らしい気風ですが、長期的に見ればこれはなかなか苦しい。これから急激に大きくなることが予想されるデザインの役割と可能性を、企業にも世の中にもっと知ってもらいたい。グッドデザイン賞はそれを戦略的に牽引する場であってほしいと思っています。
激しく変質しつつある社会をキャッチアップする大きな戦略、デザインという言葉をより明確に強固なものにする試み、それが新たなる「人間中心主義」を理念とし、「近未来のディマンドサイドに立つ」という審査方針です。時代も大きく変わりつつあります。制度改革に終わりはないものと思っています。活気溢れるよりよい仕組み造りを目指して、審査委員とともに力を合わせて努力していきたいと考えています。