21世紀最初、45回目を迎えることになったグッドデザイン賞。その審査委員長という大役を引き受けました。私自身は来年、デザイナーになって30年を迎えます。そしてその半数年、グッドデザイン賞の審査委員を務めました。私自身はインハウス・デザイナーであった経験もあり、インハウス・デザイナー時代には、自分もGマークを取ることに必死になっていたことがあります。また、地方の一デザイナーとして伝統工芸や地場産業にかかわり、その中でグッドデザインの評価基準をデザインの一つの大きな柱として、産地や中小企業にコンサルタントも行ってきた経験もあります。そうしたことから、Gマークを受賞するということがどういうことか、一番理解していると考えています。
さて、今年度の応募状況を見ると、例えば、ある企業では実際は50点近く応募しようと思っていたが、経営戦略側の指示により応募数を半分にせざるを得なかったという企業、また一方ではこのグッドデザインを通して、中小企業としての活動を何としても認めてもらいたいという企業まで、実に様々な応募がありました。
私のねらいとしては、一昨年に新設された新領域部門に次いで、今年度はコミュニケーション部門という新部門を創設し、デザインという領域がこれまでのように単なる商品の色・形や生活提案に縛られるのではなく、取組みとしてのデザイン、人と人とのコミュニケーションのデザイン、ビジュアルコミュニケーションのデザインの在り方も取り込むという試みを行いました。
結果として、デザインはもはやモノの「形」を超えて、金融システム、プライベート・ファイナンス・イニシアチブという新しい投資方法の金融商品、コミュニティ・スクールと呼ばれる新しい保育園、「せんだいメディアテーク」のような新しい仕組みを持つ建築環境システムや、これまでの「駅」の在り方をリデザインした「都営地下鉄大江戸線」、そしてテレビ番組までがグッドデザインの対象となりました。このグッドデザイン賞を通じてユーザーに知っていただきたいのは、デザインだけが理想主義を実現していく唯一の手段であり、人間の知恵、人間の見識の表現として捉えていただきたいということです。

今年度の審査方針としては、「プロのデザイナーの視点とユーザーの視点」という2つの視点をいかにコミットするか、ということで審査委員、特に新人の審査委員には予めセミナーを行い審査に臨みました。このグッドデザイン賞の審査がどのように社会的に影響をもたらすか、あるいはデザインが持っている職能的効果がどれほど大きいかということを、あらためて審査委員の方々には認識しておいて頂きたいということです。また、やがてこのグッドデザイン賞の審査の核を担うであろう次の世代のデザイナーにきっちりとバトンタッチをすることと、デザイン界の統合をめざしていくという戦略を持って審査を行いました。
これまでのグッドデザイン賞の審査会にも見られたように、日本の社会はどうしてもベテランがそのまま居座り続けることが多いわけですが、デザイン、あるいは社会、その背景、経済、文化といったものは、時代とともに変革してゆきます。その時々の価値観は多様であるべきであって、その時々の審査はその時代を代表するデザイナー、デザイン・ジャーナリスト、デザインを取り巻く人々によってなされるべきであろうと考えます。そして貿易立国である我が国のグッドデザインが、本当に国民全体にとって真の豊かさの原点になるべきであろう、という信念を持って審査委員長として取り纏めてきたつもりです。
デザイナーの視点の反対側に、ユーザーの視点がある。デザイナーであっても、自分自身がユーザーである。ユーザーであるということにかけては、私自身が28歳のときに車椅子の生活を余儀なくされた時点で、ユニバーサルデザインに代表されるものに関してユーザーとしての意見を言うことができます。また医学博士という立場から生理学的見解を述べることもできるわけです。
私は次世代のデザイナーを育てる教育者でもあり、その点においては、今年選ばれたグッドデザインが、今後将来を目指す若いデザイナー、学生にとって、これがグッドデザインなんだというモデルケースをつくり、それと同時に、デザインという領域がいかに幅広いかをより知っていただきたいという思いを持って審査に臨みました。

応募されてくるものに関しては、応募するからにはグッドデザイン賞は皆獲得したいという思いがあるはずです。その限りにおいて、実は審査委員にとって不合格にするということは非常に酷な作業なわけです。もし、これだけの熱意と情熱を持ってつくったものが不合格となったならば、それなりの理由があり、その理由をきちんとフィードバックしてゆくことが一番大事ではないか。また、受賞したものに関しても、受賞だけで終らせることはこの賞としての意味がない。これらに関して、ここをもう少し改善してほしい、というコメントもつけてフィードバックすることで、グッドデザインを完成していってほしいわけです。
受賞となったものというのは、極めて客観的な事実のもとに選ばれたものであり、グッドデザインを代表しているものだと確信します。ただし、減点法の審査をやれば、おそらく選定率は20%を割るだろうと推測できます。ところが加点法、つまり審査対象においていい面を見出してゆく方法であれば、選定率は70%を優に越えるでしょう。そうなった場合には、果たしてそれが本当に賞に値するかということにもなってしまうものです。
そこで審査委員によるタスクフォースメンバー、つまりベテラン審査委員、そして審査委員の中でも特にモノづくりに関してプロの視点をしっかりと持った人たちによって、全部門、全ユニットで審査したものをもう一度検分し直すという作業を行いました。ある意味ではこれは極めて委員長特権の専制的なことであるという話し合いもユニット間では出たようですが、敢えて本当のプロの視点、ユーザーの視点にもう一度立ち返って、洗い直しを行いました。
今一番売れているものが果たしてグッドデザインかというと、たとえば携帯電話では、人間工学的な提案がまったく無視されているもの、それはデザイナーの提案よりもキャリアと呼ばれる企業のコンセプトでモノづくりをやらなければいけないという背景が実によく見えてきます。進化しているはずのものが一段と使いづらくなるという現象が起きているのです。
もう一つ、大きなマーケティングという視点から見れば、昨今安売りの量販店が至るところにある反面、セレクトショップでの販売という売り方があります。そういう中に出てくる商品は、確かにモノづくりの生産コストを下げ、価格に見合った品質であり、選択肢も増えています。しかし私は、そのことによって日本全体の生産・消費構造が画一的なものになってしまう恐れを非常に持っています。新しい販売の在り方が存在する一方で、本当に消費構造が多様化したかというと、決して多様化していないとさえ思います。そのような経済の一面が、今年グッドデザインに選ばれた商品をじっくり見ていただければ明らかになるでしょう。
最後に、今年私が審査委員の方々にお願いしたのは、審査委員63名の1人1人が、今年審査したものの中から1点、どれが一番いいかを挙げてもらうことでした。これはやがて小冊子にして纏めたいと考えていますが、審査委員各々の「これを選んだ」という価値観を明らかにし、審査委員がどういう個性で、或いはどのような知見、知識、見識で行われたかを、多くの方にお届けしたい。是非、ご期待頂きたいと思います。

45年目というのは、50周年という儀式を迎える前の祝祭だと考えます。50周年には、グッドデザイン賞が、貿易立国としての日本のデザインが50年間でここまで成し遂げたという儀式になるように、45年からのグッドデザインは祝祭ととらえていきたいと考えました。そういう意味で今年のグッドデザイン賞の最終選考でグランプリに何が選ばれるかということに、くれぐれもご注目をいただきたいものです。
私はデザイナーという職能を選んだ者として、日本の本当の豊かさはデザインなしでは不可能であることを、グッドデザイン賞を通して表現していきたいと決意しています。

今日、日本の経済は低迷をしており、また先日のテロリズムの問題など、世界の情勢は大変不安定になっています。そのような中で、我が国のモノづくりに関しては、デザインが果たす役割は企業の中では大変厳しい状況にあるのが現実です。
しかし、決してデザインは無力ではないということを、このグッドデザイン賞から受け止めていただくことができれば幸いだと考えます